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千葉地方裁判所松戸支部 昭和52年(ワ)41号 判決

原告

森岡廣茂

原告

森岡綾子

右両名訴訟代理人弁護士

瑞慶山茂

中嶋親志

高橋修一

塩谷順子

國本敏子

井上豊治

蒲田孝代

小関傳六

西山明行

倉内節子

高橋勲

高橋高子

後藤裕造

田村徹

白井幸男

藤野善夫

北光二

石井正二

河本和子

鈴木守

佐藤鋼造

関静夫

青柳孝夫

岡田啓資

能勢英樹

田中晴男

土山譲

鎌田正紹

被告

野坂聰美

右訴訟代理人弁護士

山田和男

右訴訟復代理人弁護士

田中その子

被告

松戸市

右代表者市長

宮間満寿雄

右訴訟代理人弁護士

山田和男

右訴訟復代理人弁護士

田中そのこ

被告

千葉県

右代表者知事

沼田武

右訴訟代理人弁護士

滝口稔

右指定代理人

綱島俊久

新保司

山中宜恒

島村正義

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右訴訟代理人弁護士

葛西宏安

右指定代理人

吉村剛久

鮫田省吾

竹澤雅二郎

岩佐勝博

弓掛正倫

中野寛

鳥飼俊夫

主文

一  被告野坂聰美は、原告ら各自に対し、金九七五万〇〇三五円及び内金八七五万〇〇三五円に対する昭和四九年二月一八日から、内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告野坂聰美に対するその余の請求並びに被告松戸市、被告千葉県及び被告国に対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の三分の一と被告野坂聰美に生じた費用を同被告の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告松戸市、同千葉県及び同国に生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告ら各自に対し、金一七〇七万四二一九円及び内金一四八四万七一四七円に対する昭和四九年二月一八日から、内金二二二万七〇七二円に対する本判決確定の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告千葉県及び被告国)

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及び入園の経緯

(一) 原告森岡廣茂は、亡森岡真理子(以下「真理子」という。)の父、原告森岡綾子は、真理子の母であったものであり、いずれも、昭和四八年八月以降、松戸市に住居を有する同市の市民である。

(二) 被告野坂聰美(以下「被告野坂」という。)は、松戸市内で「郭公子供の家」という名称でいわゆる無認可保育所(以下「本件保育所」という。)を経営し、その雇用する保育者を被告松戸市の家庭保育福祉員として登録し、被告松戸市の紹介を経て委託を受けた児童を保育していたものである。

(三) 原告らは、真理子の出生当時、いずれも小学校の教員で、日中居宅外で労働することを常態としており、かつ、他には真理子の保育にあたる者がおらず、真理子は昭和六一年法律第一〇九号による改正前の児童福祉法二四条(以下「児童福祉法二四条」という。)に定める「保育に欠ける児童」であった。そこで、原告らは、昭和四八年一一月中旬ころ、被告松戸市の福祉事務所に対し、真理子の市立保育所への入所を申し込んだところ、同事務所の係官は、市立保育所は満員であり、待機児童も多いので入所は不可能であるとして真理子の入所を拒否し、その代替措置として被告松戸市の家庭保育福祉員制度を説明のうえ、その利用を勧め、本件保育所を紹介した。

(四) そのため、原告らは真理子を市立保育所へ入所させることを断念し、昭和四九年一月五日、やむなく被告野坂との間で、委託期間を昭和四九年一月八日から同五〇年三月末日まで、委託時間を午前七時三〇分から午後五時まで、保育料を一か月につき一万四〇〇〇円以内とする真理子の保育委託契約を締結した。

2  本件事故の発生

(一) 真理子は、昭和四九年二月一八日午前七時四〇分ころ、原告両名に連れられて本件保育所に登園し、午前一一時三〇分ころ、昼食をとったあと、本件保育所の保育者である安達ミチ子(以下「安達」という。)により、午後零時三〇分ころ、乳児用寝室に連れて行かれ、頭部に当たる部分にバスタオルを置いた敷布団の上に伏臥位で寝かされた。

(二) 真理子は寝かされたとき泣いていたが、安達は真理子が寝つくまでその傍らにいることをせず、他の保育者とともに、午後零時四〇分ころ、乳児用寝室を出た。同室には、真理子のほかに三名の乳児が寝かされていたが、以後は同室内に保育者等は在室しておらず、午後一時一〇分ころ、同一時四〇分ころ及び同二時三〇分ころの三回にわたって、他の乳児にミルクを与える等の用事があったときのみ、保育者が同室に入室しただけで、この間に真理子の様子を見た者はいなかった。

(三) 安達は、同日午後三時ころ、乳児用寝室に入室し、真理子の様子を見たところ、真理子が顔面を真下に向けて布団に押し付けるような状態で、顔のまわりには敷いてあったバスタオルが集中していることを発見し、すぐに真理子を抱き上げたが顔色が黄色くなってぐったりした様子であったため、被告野坂を呼んだ。同被告は真理子をもよりの高江医院に搬入し、同医院で救命措置がとられたものの、同日午後三時零分ころ、真理子の死亡が確認された(以下この事故を「本件事故」という。)。

3  本件事故の原因

(一) 真理子の死因は、鼻口閉塞による窒息死である。

すなわち、真理子の解剖検査結果によれば、全身の諸臓器にうっ血が著明であり、心臓内の血液が暗赤色流動性で、胸膜及び腹膜が充血状態である等、急性死の所見が認められるとともに、眼瞼結膜、眼瞼、おとがい、心臓表面、肺表、口部周辺等に溢血点が多発しており、しかも、全身の臓器がうっ血でありながら、脾臓だけは貧血の状態にあり、窒息死の特徴的な所見を示している。さらに、肺には、うっ血水腫が非常に強く、肺気腫が混在しており、鼻口閉塞の所見が存在するところ、口部周辺には圧迫痕等の異状はないものの、舌先端上面に蚕豆大の粘膜下出血があり、口腔内への異物の挿入、嵌入、充填が推測される。このような解剖所見及び前述の本件事故の発生状況を総合すると、真理子の死因は、敷布団の上に敷かれたバスタオルが真理子の口腔内に挿入、嵌入、充填したことによる窒息死であることが明らかである。

(二) そして、本件保育所では、本件事故当時、乳児六名、幼児六名の計一二名の児童を受託していたが、実際に保育に携わっていた保育者の人数は三名であり、しかも、三名が共同して保育にあたっていた時間帯は、午前九時から同一〇時及び午後零時から同時三〇分の計一時間半にすぎず、他の時間帯は一名ないし二名の保育者だけで保育を行っていた。特に、午後零時三〇分から同三時までの午睡時間の間は、一名の保育者が保育にあたっているだけで、しかも、当該保育者は、間食の準備や掃除等の用務に従事しており、保育に専念していたわけではなかった。また、本件保育所では、保育者として未経験の家庭の主婦を何らの指導・教育もしないで集団保育の保育者として保育業務に従事させていたものであり、加えて、保育者と児童の保護者との間で、受託中の児童の様子や保育内容に関する連絡等もまったくなされていなかったものであって、本件事故はこのような劣悪な保育環境のもとで発生したものである。

4  被告野坂の責任

(一) 不法行為責任

(1) 被告野坂及び安達は、保育者として、乳児を伏臥位で寝かせる場合には、乳児の鼻口部を閉塞する危険を防止するため、柔らかい布団の使用は差し控え、頭部・顔面にあたる部分にはタオルやシーツを固定しないままで敷いたりしないようにする注意義務があるとともに、また、乳児を就寝させる場合には、乳児を保育者の観察しやすい場所に寝かせ、かつ、観察を怠らないようにすべき注意義務がある。

(2) しかるに、本件事故当日、被告野坂は、真理子を午睡させるにあたり、柔らかい子供用敷布団を敷いて二つ折りにした敷布を被せ、さらに敷布団の頭部ないし顔面にあたる部分に固定の措置を講ずることなくバスタオルを敷き、安達はその上に真理子を伏臥位で寝かせたうえ、泣いている真理子を放置したまま、乳児用寝室の出入口を閉め、二時間半にわたって真理子の観察を怠った。真理子は、被告野坂及び安達の右過失によって死亡したものである。

(二) 債務不履行責任

(1) 原告らは、昭和四九年一月五日、被告野坂との間で真理子の保育委託契約を締結したものであり、被告野坂は、同契約に基づく義務として、前記(一)(1)記載と同旨の注意義務を負担していた。

(2) しかるに、被告野坂及びその履行補助者である安達は、前記(一)(2)記載と同旨の過失により、真理子を死亡させたのであるから、本件事故によって原告らが被った損害を賠償する義務がある。

5  被告松戸市の責任

(一) 国民の保育要求権の侵害

被告松戸市の担当各機関は、憲法二五条、二六条、二七条一項、児童福祉法一条ないし三条によって認められている国民の保育要求権に対応する保育所の設置、整備義務を負っていたのにもかかわらず、これを怠るという違法な不作為によって本件事故を発生させたものであり、しかも、この点につき重大な過失があるから、被告松戸市は、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うべきである。

(二) 被告野坂及び安達の公務員性その一等

(1) 被告松戸市が創設し、運営している家庭保育福祉員の制度は、児童福祉法二四条但書に基づく制度であり、この制度の下に家庭保育福祉員が従事していた保育業務は、同被告の公務である。すなわち、被告松戸市は、家庭保育福祉員及び受託児童の資格や委託内容を決定し、家庭保育福祉員や委託児童の募集や家庭保育福祉員の認定、委託児童の審査を行っていたほか、委託契約の解除権を留保し、家庭保育福祉員に対する指導・監督権を有していたものであり、したがって、家庭保育福祉員及びこれを雇用する者の営む保育業務は、被告松戸市の作用であり、被告野坂及び安達は、国家賠償法上、被告松戸市の公務員というべきであるから、被告松戸市は、同法一条一項により、本件事故についての損害賠償責任を負う。

(2) 仮に、被告野坂及び安達が、国家賠償法一条一項にいう公務員に該当しないとしても前記事実関係の下では、同人らは、被告松戸市の被用者というべきであり、被告松戸市は、民法七一五条により、本件事故について損害賠償責任を負う。

(三) 被告野坂及び安達の公務員性その二

児童福祉法二四条によれば、保育に欠ける児童を保育所に入所させて保育することあるいはその他の適切な保護を加えることは市町村長の義務とされているところ、被告松戸市の市長は、真理子を保育に欠ける児童として、同法二四条但書に基づき、被告野坂が家庭保育福祉員を雇用して経営する本件保育所に保育委託したものである。したがって、被告野坂及び安達が従事していた保育業務は、被告松戸市の市長がなすべき公務としての「適切な保護」(同法二四条但書)の措置を委任されて行っていたものというべきであり、この意味において、被告野坂及び安達は、公権力の行使を委託されていたもので、国家賠償法一条一項にいう公務員というべく、被告松戸市は、同法一条一項により、本件事故についての損害賠償責任を負う。

(四) 本件保育所への紹介行為の違法

(1) 児童福祉法二四条但書が規定する「適切な保護」の措置は、同条本文の保育所への入所措置が代わるものであるから、市長村長には児童の生命・身体に害を及ぼすおそれのある施設への保育を委託してはならない注意義務があるものというべきところ、被告松戸市の市長ないしその補助機関である同市福祉事務所長は、右義務に違反し、劣悪な保育環境にある本件保育所に真理子の保育を委託した。この保育委託と、本件事故との間には因果関係があるから、被告松戸市は、国家賠償法一条一項により、本件事故についての損害賠償義務がある。

(2) 仮に、松戸市長ないし福祉事務所長の前記行為が、児童福祉法二四条但書の措置でないとしても、右行為はいわゆる助言的行政指導と解されるところ、このような行政指導についても、児童の生命・身体に害を及ぼすようなおそれのある施設への斡旋をしてはならない条理上の義務があるから、前記と同様に、被告松戸市には、国家賠償法一条一項により、本件事故についての損害賠償責任がある。

(五) 債務不履行責任

被告松戸市は、昭和四八年一二月、真理子につき要保育決定したことにより、原告らと保育委託契約を締結し、真理子を安全に保育する義務を負担したものである。被告松戸市は、児童福祉委託斡旋通知を出すことにより、本件保育所と真理子の保育委託契約を締結し、被告野坂を右義務を履行するための履行代行者として使用したものであり、本件事故は、右代行者らの過失によって発生したものであるから、被告松戸市は債務不履行責任を負うべきである。

6  被告千葉県の責任

(一) 国民の保育要求権の侵害

請求原因5(一)と同旨であるから、その主張を援用する。

(二) 監督権限の不行使の違法

(1) 昭和五六年法律第八七号による削除前の児童福祉法五八条二項(以下「児童福祉法五八条二項」という。)は、都道府県知事に対し、児童福祉施設のうち、認可を受けずまたは認可を取り消されたものについては、都道府県児童福祉審議会の意見を聞いて、事業の停止または施設の閉鎖を命ずることができる権限を付与しており、また、都道府県知事が右権限を適切に行使するためには、対象となる施設への立ち入り調査権及び事業停止又は施設閉鎖の権限の発動に至る過程として施設運営の改善勧告権を含むものというべきである。

(2) ところで、本件保育所においては、保育者一名が一二名の受託児童の保育にあたっていた時間帯があり、また、乳児の頭部・顔面にあたる部分にバスタオルを敷いて伏臥位で寝かせるという危険な保育方法を採用していたものであるが、被告千葉県の機関である県知事は、本件事故当時、いわゆる無認可保育所の実態につき、その設備や保育内容が劣悪であり、多数の乳幼児の死亡事故が発生していたことを認識していた。

(3) してみると、被告千葉県の機関である県知事は、児童福祉法上の前記事業停止ないし施設閉鎖の権限を適切に行使するためには、無認可保育所に対する立入調査権を行使し、あるいは、少なくとも行政指導により実態調査を実施すべきであったものであり、そうすれば、本件保育所の危険な保育実態を把握することが可能であったものというべきである。そのうえで、県知事としては、本件保育所に対して改善勧告をなし、改善がなされなかった場合には、事業停止又は施設閉鎖の権限を行使すべきであったのにもかかわらず、漫然とこれを放置し、本件事故を発生させたものであるから、被告千葉県は国家賠償法一条一項により、損害賠償責任を免れない。

7  被告国の責任

(一) 国民の保育要求権の侵害

請求原因5(一)と同旨であるから、その主張を援用する。

(二) 監督権限の不行使の違法

児童福祉法五八条二項の定める都道府県知事の事務は、国の機関委任事務と解すべきところ、右事項についての主務大臣である厚生大臣は、本件事故当時、多数の児童が無認可保育所の劣悪な保育環境で保育され、乳幼児の死亡事故が多発していたことを知っていたのであるから、都道府県知事を指揮・監督して、無認可保育所に対する実態調査や立入調査を実施させ、事業停止又は施設閉鎖の権限を行使させるべき義務があったのに、これを怠り、本件事故を惹起させた。したがって、被告国は、国家賠償法一条一項により、損害賠償責任を免れない。

8  真理子の死因に対する仮定的主張

仮に、真理子の死因が鼻口閉塞による窒息死ではなく、乳幼児突然死症候群(以下「SIDS」という。)によるものであったとしても、被告野坂は過失責任を免れず、したがって、他の被告らも損害賠償責任を負うべきことにかわりはない。

SIDSの発生原因及び発生機序については、十分に解明されてはいないが、咳、発熱及び呼吸困難等の前駆症状を伴うものであること、発病してから数秒あるいは数分単位のごく短時間内に死亡するものではなく、低酸素症に陥っている状態の時間が相当程度あること、したがって、右低酸素状態ないし仮死状態で発見された場合、身体刺激、人口呼吸、心臓マッサージ等の救命措置により蘇生する例のあることなどが明らかにされている。してみると、被告野坂もしくは安達が睡眠中の真理子に対して十分な観察を怠らなかったなら、仮に、真理子がSIDSに罹患していたものとしても、救命可能であったものというべきところ、被告野坂らは、二時間半もの間にわたって真理子に対する観察を怠り、真理子に対し救命措置を講じる機会を逸してしまったものであり、過失責任のあることを免れない。

9  被告らの共同責任

本件事故は、被告野坂、松戸市長、千葉県知事及び厚生大臣の各違法行為があいまって惹起されたものであり、被告らは、国家賠償法四条、民法七一九条の規定により、連帯して本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

10  損害

(一) 葬儀費用

原告らは、真理子の葬儀費用として、各自一〇万四六〇七円を支払った。

(二) 真理子の逸失利益

真理子が本件事故によって死亡しなければ、一八歳から六七歳まで稼働することができ、その間、少なくとも毎年昭和五九年賃金センサス全労働者年間平均給与額を1.1025倍した金額である三八三万七三六一円の収入を得、その間、生活費として収入の二分の一を要したものというべきであるから、以上を基礎としてライプニッツ式計算方法により、年五分の割合による中間収入を控除して真理子の逸失利益の死亡時における現価を算定すると、一四四八万五〇八〇円となる。

原告らは、それぞれ真理子の父母として右総額の二分の一(各七二四万二五四〇円)を相続した。

(三) 原告らの慰謝料

真理子を本件事故により死亡させたことによる原告らの精神的苦痛を慰謝するには、各自七五〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

右(一)ないし(三)の合計額は、原告ら各自一四八四万七一四七円であり、本件事故と相当因果関係のある金額として被告らが負担すべき弁護士費用の額は、右金額の一五パーセントに当たる各二二二万七〇七二円を下回らない。

11  結論

よって、原告らは、被告らに対し、連帯して、原告ら各自に、金一七〇七万四二一九円及び弁護士費用分を除く内金一四八四万七一四七円については不法行為の当日である昭和四九年二月一八日から、弁護士費用分である内金二二二万七〇七二円については本判決確定の日の翌日から、各年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

(被告野坂)

1(一) 請求原因1(一)の事実は認める。

(二) 同1(二)のうち、本件保育所が被告野坂の経営する無認可保育所であったことは認めるが、その余の事実は争う。

(三) 同1(三)のうち、真理子の出生当時、原告らがいずれも小学校の教員であったことは認め、他に真理子の保育にあたる者がなかったことは知らない。その余の事実は否認する。

松戸市福祉事務所の係官は、昭和四九年一月五日、原告らからそれまでの委託先に真理子を預けられなくなって困っている旨の相談を受けたので、原告らの住所地に近い本件保育所を紹介し、そこでよく話し合うように助言したにすぎない。

(四) 同1(四)の事実は否認する。

2(一) 請求原因2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)のうち、午後零時四〇分以降、真理子の様子を見た者がいなかったことは否認し、その余の事実は認める。

午後一時四〇分ころ、被告野坂は、乳児用寝室の戸を開けて内部を覗いた際に、真理子の様子を見ており、また、午後二時三〇分ころ、安達が入室した際にも、真理子の様子を見ているが、格別の異状を感じなかったものである。

(三) 同2(三)の事実は認める。

3(一) 請求原因3(一)のうち、真理子の解剖所見が原告ら主張のとおりであったことは認めるが、真理子の死因が鼻口閉塞による窒息死であることは否認する。

原告らが、窒息死の所見として主張する眼瞼、おとがい、心臓及び肺の表面の溢血点の存在は、急性死一般に見られるものであって、窒息死に固有の所見ではなく、また、脾臓の貧血の所見も窒息死の決定的な所見とはいえない。同様に肺のうっ血水腫、肺気腫の混在の所見も鼻口閉塞に固有のものとはいえず、SIDSの場合にも発現するものであり、舌先端上面部の蚕豆大の皮下出血も同様である。真理子は、死亡時、九か月児であり、その発育状況も通常児並であったものであるところ、その運動機能の発達程度からして、敷布の上に敷かれたバスタオルを口腔内に詰めて鼻口閉塞の状態に陥るものとは考えられず、その死因はSIDSによるものというべきである。

(二) 同3(二)のうち、本件保育所の保育者が三名であったとの点、保護者との間で保育についての連絡手段が講じられていなかったとの点は否認し、本件保育所の保育環境が劣悪であったとの主張は争い、その余の事実は認める。なお、本件事故当日は一二名の受託児童のうち二名が欠席していた。

本件事故当時、本件保育所における家庭保育福祉員の数は三名であり、そのうちの一名はほとんど保育に従事していなかったが、同人の代わりに被告野坂が保育に従事し、そのほか同被告の義母が必要に応じて保育を担当していたものである。

4 請求原因4の主張は争う。

被告野坂及び安達は、乳児用寝室に隣接し、同室内の泣き声、物音、動静を感知し得る場所に交替で待機していたものであり、しかも、その間、被告野坂は二回、安達は四回にわたって同室内に入室しており、特に、安達は、午後二時から三時までの間、乳児用寝室の出入口である二枚の引き戸のうち片方を開け放って室内の様子に注意を払っていたものであり、午後三時ころ真理子の異状に気づくまでは格別の異状はなかったのであるから、被告野坂に原告ら主張の過失はない。

5 請求原因8の主張は争う。

本件事故当時は、SIDSの発生原因、発生機序のいずれについても、仮説的に主張されていたにとどまり、その予見、予防及び回避の手段は確立されていなかったものであり、SIDSの知識さえ一般に知られていなかった。したがって、被告野坂が、真理子についてSIDSの発生を予見し、これを回避することは不可能であったものであり、同被告には過失はない。

6 請求原因9の主張は争う。

7 請求原因10の(一)ないし(四)の主張は争う。

(被告松戸市)

1 請求原因1ないし3に対する答弁は、被告野坂と同旨であるから、同被告の答弁を援用する。

2(一) 請求原因5(一)の主張は争う。

原告ら主張の憲法二五条等の法条は、いわゆる生存権ないし社会権の保障と福祉の向上を国政の任務として宣言したものにすぎず、国や地方公共団体に対する個々の国民の具体的な法的権利を保障したものではないから、国や地方公共団体が具体的な法的義務として「保育義務」なるものを負うわけではなく、右義務の不作為を前提とする原告らの主張には理由がない。

(二) 同5(二)及び(三)の各主張は争う。

被告松戸市の家庭保育福祉員制度は、児童福祉法二四条に基づく制度ではなく、善意の奉仕者に対して報償金を給付し、社会奉仕活動を勧奨するとともに、保護者の経済的負担を軽減し、もって、児童の健全な育成を図るものである。また、保護者と受託者の児童保育委託契約についても、被告松戸市は、保護者に家庭保育福祉員を斡旋するにとどまり、契約は当事者が自由意思によって締結するもので、保育そのものが同被告の監督下にあるものでもなく、施設も同被告のものではない。児童の保育は、もっぱら家庭保育福祉員自身の行為としてなされるものであって、被告野坂らは、いかなる意味においても同松戸市の公権力の行使に関与したものではなく、また、被用者でないことも明らかである。

(三) 同5(四)の主張は争う。

被告松戸市の家庭保育福祉員制度においては、福祉事務所長は、保護者に家庭保育福祉員を斡旋するにすぎず、この場合、仮に斡旋が適切でなかったとしても、児童の保育の主体は家庭保育福祉員であり、家庭保育福祉員は自己の責任においてその業務を行うのであるから、被告松戸市は、家庭保育福祉員の過失によって生じた損害を賠償する責任はない。

(四) 同5(五)の主張は争う。

3 請求原因8ないし10の主張は争う。

(被告千葉県)

1(一) 請求原因1(一)の事実は認める。

(二) 同1(二)の事実は知らない。

(三) 同1(三)のうち、原告らが小学校の教員であったことは認めるが、その余の事実は知らない。

(四) 同1(四)の事実は知らない。

2 請求原因2の事実のうち、原告ら主張の年月日に真理子が死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 請求原因3の主張は争う。

4(一) 請求原因6(一)の主張は争う。

原告ら主張の法条は、個々の国民が、国及び地方公共団体に対して保育を要求できる権利を具体的に定めるものではない。

また、原告らは、被告千葉県に保育所の設置義務を怠った違法な不作為があった旨を主張するが、児童福祉法上、都道府県が設置を義務づけられているのは、教護院のみであり、被告千葉県には、法律上、保育所の設置義務はない。

(二) 同6(二)の主張は争う。

(1) 都道府県知事には、昭和四九年当時の児童福祉法五八条二項により、無認可の児童福祉施設に対し、事業の停止及び閉鎖命令権が与えられていたが、これらの施設に対する立入調査権は与えられていなかった。無認可の児童福祉施設に対する報告徴収及び立入調査の権限は、本件事故後昭和五六年法律第八七号による法改正で、児童福祉法五八条の二の規定が新設されて設権されたものである。

(2) 本件事故の発生した当時、千葉県下の市町村で家庭保育福祉員の制度の適用を受ける施設において、乳幼児の死亡事故やこれに準ずる事故が発生していた事実はなく、また、被告千葉県が、現場の保育者や保護者から、これらの施設の保育環境や保育内容が劣悪で、乳幼児の生命身体に危険を及ぼすおそれがあるとの指摘を受けた事実もないのであって、同被告が本件事故の発生を予見できた可能性はなかったものである。

(3) なお、原告らは、県知事が、無認可保育所に対して、事業の停止及び閉鎖命令権を有するので、この権限を背景に、立入調査、改善勧告等の行政指導をしていたとすれば、本件保育所の存在及びその劣悪な保育環境について容易に知り得た旨を主張するが、本件において、県知事の事業の停止又は施設の閉鎖命令の権限不行使の違法が問題となることはあっても、権限行使以前の改善勧告等の行政指導と本件事故とは、法的に因果関係を欠くから、行政指導の不作為が違法となる余地はない。また、行政指導による実態調査をするか否かは、行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量に委ねられているから、行政指導をしなかったことにより、損害賠償責任を負うことはないというべきである。

5 請求原因8及び9の主張は争う。

仮に、被告千葉県に、作為義務違反の違法があったとしても、被告千葉県が賠償すべき損害の範囲は、違法な不作為と相当因果関係のある損害に限定されるものというべきである。

6 請求原因10の主張は争う。

(被告国)

1 請求原因1ないし3の事実は知らない。

2(一) 請求原因7(一)の主張は争う。

原告ら主張の法条は、個々の国民に対して、国が具体的・現実的に各条項に規定される事項について法律上の義務を負うことを定めたものではなく、憲法上も児童福祉法上も国には保育所の設置義務はない。

(二) 同7(二)の主張は争う。

(1) 児童福祉法五八条二項は、都道府県知事が無認可児童福祉施設に対する事業停止及び施設閉鎖の権限を有する旨を規定していたが、無認可児童福祉施設に対する報告徴収及び立入調査等の権限については規定しておらず、事業停止及び施設閉鎖の権限のない厚生大臣はもとより、右権限のある都道府県知事にも報告徴収・立入調査の権限は付与されていなかった。

(2) 保育を業として行うことは、現行法上、禁止されておらず、個々の無認可保育所ごとの保育実態について、厚生大臣は、これを把握すべき法的根拠も方法もない。

仮に、本件事故当時、行政指導として、全ての無認可保育所に対して報告徴収又は立入調査を実施していたとしても、本件保育所は、被告松戸市の設けた家庭保育福祉員制度に基づいて、少なくとも外形的には安全に保育が行われ得る一応の条件を備えていたものであり、現に本件事故が発生するまでは、特段の問題なく保育が行われてきたのであるから、厚生大臣及び千葉県知事は、真理子の死という本件結果を予見・回避することは不可能であったものである。

また、行政指導による調査を実施するか否かは、行政庁の裁量権の範囲に属する事柄であり、児童福祉法上は調査権限が付与されていないことを考慮し、厚生大臣及び千葉県知事が憲法上保障された私人の営業の自由との調和を図るため、無認可保育所の調査について慎重な態度をとったことを違法ということはできない。

3 請求原因8ないし10の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者及び入園の経緯

1  原告らが、真理子の両親であり、松戸市に住居を有する同市の市民であることは、原告らと被告国を除くその余の被告らとの間においては争いがなく、原告らと被告国との間においては、弁論の全趣旨により認めることができる。

2  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。

被告野坂(昭和二一年生)は、東京都内から松戸市に転居するに際し、同市の家庭保育福祉員制度を利用して託児所を経営しようと考え、建築中の居宅の一階を右施設に充てることとし、昭和四八年八月一日、松戸市小金原八丁目一九番地六号において本件保育所を開設した。開設にあたっては、松戸市福祉事務所に問い合わせた結果、同被告は、現に三歳未満の長女を養育中であったため、家庭保育福祉員の資格がないことが判明したが、前記施設については福祉事務所の職員が現場を訪れて見分したうえ、松戸市の家庭保育福祉員制度の施設として利用することを認めた。そこで、被告野坂は、関口アサ子を保育者として雇用し、同人が家庭保育福祉員として登録されると、児童の受託を開始し、その後、夫のおばである吉野博子を家庭保育福祉員として登録したほか、鵜山欣子、安達、和田佐知子を保育者として順次に雇用したうえ、同じく家庭保育福祉員として登録し、次第に受託児童の数も増加させた(本件保育所が被告野坂の経営する無認可保育所であることは、原告らと被告野坂及び同松戸市との間においては争いがない。)。

3  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、証人深沢鞠子の証言中、この認定に反する部分は直ちに措信できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

原告らは、真理子の出生当時、いずれも小学校の教員であり(この事実は、原告らと被告国を除くその余の被告らとの間においては争いがない。)、昼間居宅外で勤務することを常態としており、かつ、他に真理子の保育にあたることのできる者もいなかった。そのため原告綾子の産後休暇の終了した昭和四八年六月三〇日から、原告らは真理子の保育を知人に依頼していたが、昭和四八年八月ころ、柏市から松戸市に転居したのを契機に松戸市の福祉事務所を訪れ、真理子の公立保育所への入所を希望したところ、松戸市ではいわゆる産休明け保育を実施していないので、生後六か月を経過してから来所するように説明を受けた。そこで、原告らは、真理子が生後六か月に達した同年一一月ころ、松戸市の福祉事務所を再び訪れ、真理子の公立保育所への入所を改めて希望したところ、同事務所の係官深沢鞠子から市立保育所は満員であり、待機児童も多いので入所はほとんど不可能であるとして真理子の入所は断られたが、原告らは保育所入所の申込書に所定の事項を記入のうえ提出し、入所できないと困る旨を訴えた。すると、右係官が、原告らに対し、松戸市の家庭保育福祉員制度の概要を説明のうえ、その利用を勧めたため、原告らはその場で相談して同制度を利用することを決意し、係官から本件保育所の紹介を受けた。原告らは、その足で本件保育所へ赴き、被告野坂から説明を受けた後、翌年一月からの保育を依頼し、昭和四九年一月五日、改めて被告野坂を訪ね、被告野坂との間で、委託期間を同年一月八日から昭和五〇年三月三一日まで、委託時間を午前七時三〇分から午後五時まで、保育料を一か月につき一万四〇〇〇円以内とする内容の保育委託契約を締結した。なお、右契約締結に際しては、契約書が作成されたが、家庭保育福祉員制度を利用する必要から、契約書上の一方当事者の氏名には、被告野坂にかえて関口アサ子の名義が記載された。

二本件事故の発生

〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  真理子は、昭和四九年二月一八日午前七時四〇分ころ、原告らに連れられて本件保育所に登園した。真理子は、午前中にミルクを与えられ、午前一一時三〇分ころ昼食にうどんを食べた後、午後零時三〇分ころ、安達(昭和三年生)に連れられて乳児用寝室に入り、あらかじめ被告野坂が敷いておいた布団の上に伏臥位で寝かせられた(以上の事実は、原告らと被告野坂及び同松戸市との間においては争いがない。)。この当時、同日登園していた他の零歳児三名(山本しのぶ、高野織枝及び土屋香奈江)は、同室内ですでに就寝しており、真理子は、乳児用寝室の南側の窓際に頭部を南に向けて寝かせられた。

2  真理子は寝かされたとき泣いていたが、安達は、真理子が寝つくまで傍らにいることをせず、他の保育者とともに、午後零時四〇分ころ、乳児用寝室を出て(以上の事実は、原告らと被告野坂及び同松戸市との間においては争いがない。)、外出した。一人になった野坂は、主に台所で昼食のあとかたづけや児童の間食の準備に従事していたが、午後一時一〇分ころ、山本しのぶが泣いたので同児を乳児用寝室から連れ出してミルクを与えた後、再び寝室に戻し、また、午後一時四〇分ころ、高野織枝が泣いたので、寝室内の様子を見るなどして、そのころ帰ってきた安達と交替して外出した。安達は、外出から帰って掃除等をした後、起きていた高野織枝を寝室の外に連れ出してミルクを与え、次に山本しのぶのおむつ交換のため寝室内に入り、また、午後二時三〇分ころには、むずかりだした土屋香奈江を室外に連れ出した。被告野坂及び安達は、右の各入退出の機会に、真理子について特にその異状の有無を確認するため観察する等、格別の配意をしたことはなかった。

3  安達は、午後三時ころ、先に連れ出した土屋香奈江を再び寝室に戻すために入室したところ、真理子が顔面を垂直に敷き布団を押し付けるように伏臥しており、敷いてあったバスタオルが真理子の顔面付近に雑然としわ寄せられて集中しているのを発見して真理子を抱き上げたが、真理子の顔面は黄色くなり、ぐったりした様子であったため、被告野坂を呼んで異状を知らせた。被告野坂は、安達から真理子を受け取ると、近くの高江医院に搬入し、午後三時すぎころ、真理子の死亡が確認された(以上の事実は、原告らと被告野坂及び同松戸市との間においては争いがない。)。

三真理子の死因

1  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、この認定に反する証人渡邊富雄の証言及び鑑定の結果は直ちには措信できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

真理子の遺体は、昭和四九年二月二〇日、安達に対する業務上過失致死被疑事件について、千葉大学法医学教室教授木村康によりいわゆる司法解剖がなされ、死因等に関する鑑定がなされた。その遺体には、直接の死因となるような外傷及び奇形の存在は認められず、また、左肺の上葉には肺炎の、その他の肺の各葉には気管支炎の各所見が見られたが、いずれも急死を招来するような重篤なものではなく、その他、死因となるような病変はなかった。一方、外表所見では、顔面の口部、おとがい部周辺にうっ血があり、舌先端部の上面には粘膜下出血が存在し、左右眼瞼、左右眼瞼結膜及び背部の屍班中に多数の溢血点が存在しており、内部所見では、肺及び心臓の各表面に多数の溢血点が存在し、会厭部にはうっ血が見られるとともに、肺のうっ血及び水腫が高度で、全身の諸臓器はうっ血状態であるのに、脾臓が貧血状態であり、心臓内の血液は暗赤色流動性で、明らかな窒息の所見が存在した。木村教授による鑑定の結果の要旨は、真理子の頸部及び鼻口部周辺には圧迫痕等の異状は存在しないものの、会厭部には窒息によるうっ血があり、舌先端部の上面には生前形成された粘膜下出血が存在し、口腔内への異物の挿入、嵌入、充填等が推測され、要するにその死因は、鼻口閉塞による窒息死と判断されるというものであった。

2  ところで、被告野坂及び同松戸市は、正常な発達を遂げていた生後九か月の乳児が伏臥位で寝かせられたために窒息死するとは考えられず、真理子の死因は、鼻口閉塞による窒息死ではなく、SIDSによるものであることを主張するので、この点について検討を加える。

〈証拠〉によれば、それまで健康であった乳幼児が、看護者が気がついたときには死亡しており、解剖してみても、窒息死あるいは急性死の所見以外の異常所見はほとんどなく、死因不明であるとの突然死例があることが、世界的に認識され、昭和五四年には世界保健機構の国際疾病分類にも正式にSIDSが承認されるようになり、その原因については様々な仮説が立てられているが、いまだ定説をみないことが認められる。また、〈証拠〉によれば、真理子は、出生時、体重三二二〇グラム、身長五〇センチメートルの平均以上の体格を有し、以後もその身長及び体重において常に平均を上回る順調な発育をし、運動機能においても正常な発達を遂げ、本件事故当時には、体重約八五〇〇グラム、身長約七六センチメートルで、両手で身体を支えて頭部を持ち上げる、寝がえりを打つといった運動ができたことを認めることができる。

しかしながら、本件においては、単に解剖結果により、窒息死の所見が認められるというだけではなく、舌先端部の上面には粘膜下出血が存在する等、口腔内への異物の挿入等が推測される所見が存在するうえ、さらに、前示のとおり、本件保育所の乳児用寝室内で異状を発見された当時、真理子が顔面を敷き布団に垂直に押し付けるような臥位をとっており、しかも、顔面付近にはバスタオルが雑然集中していたことが認められるのであって、鼻口閉塞による窒息死を推測させるに足りる十分な外部的状況があるというべきであり、また、前記解剖所見からも明らかなように真理子は生前に肺炎及び気管支炎に罹患していた形跡があり、そのために本件事故当時は運動機能も健常時に比べて低下していたものと推測すべきであるから、真理子の死因は鼻口閉塞による窒息死であると解するのが相当である。

四被告野坂の不法行為責任

1  一般に、保育者が乳児を伏臥位で就寝させる場合には乳児の鼻口部を閉塞する危険を防止するため、頭部・顔面に当たる部分にはバスタオル等の可動柔軟物を固定しないままに敷いたりしないようにする注意義務があるとともに、また、乳児を就寝させる場合には、乳児を保育者の観察しやすい場所に寝かせて観察するか、少なくとも、定期的に巡視をし、異状の有無を確認する措置を講ずべき注意義務があるものと解するのが相当である。

2  しかるに、本件事故当日、被告野坂は、真理子を午睡させるに際し、敷き布団の頭部・顔面に当たる部分に何ら固定の措置をとらないままてバスタオルを敷き、安達がその上に真理子を伏臥位で寝かせたままで、保育者が不在の乳児用寝室に約二時間三〇分にわたって放置し、その間、被告野坂において、定期的に保育者を巡回させて異状の有無を確認させる等の措置を講じなかったことは前示のとおりであるから、被告野坂には前記保育者としての注意義務に違反した過失が認められるとともに、右過失と真理子の死亡との間には相当因果関係があることは明らかである。

五被告松戸市の責任

1  保育要求権の侵害の主張(請求原因5(一))について

原告らの援用する憲法二五条、二六条、二七条一項の各条規は、いわゆる社会権ないし生存権の保障を国政上の任務として宣言したものにすぎず、これらの条規が規定する事項を、個々の国民が国ないし地方公共団体に直接的かつ具体的に請求できるものではないと解するのが相当である。また、同じく原告らが援用する児童福祉法一条ないし三条の規定も、児童福祉立法における基本理念をうたった宣言的規定にすぎないのであって、個々の国民に対する具体的な法的権利を定めたものとは解することができないというべきである。してみると、国及び地方公共団体に対する具体的な請求権として、原告ら主張の「保育要求権」なる権利を認めるに由なく、原告らの主張には理由がない。

2  被告野坂及び安達を被告松戸市の公務員とする主張(請求原因5(二)(1)、(三))について

原告らは、被告野坂及び安達が従事していた保育業務は、児童福祉法二四条但書に基づく公務である旨を主張するので、この点について判断するに、児童福祉法二四条に関する事務は、昭和六一年法第一〇九号(地方公共団体の執行機関が国の機関として行う事務の整理及び合理化に関する法律)一七条により、児童福祉法が改正された結果、現行法上は市町村の事務とされているものの、本件事故当時は、国の機関委任事務として市町村長が執行していたものであることが明らかである。してみると、仮に、被告野坂及び安達が従事していた保育業務が児童福祉法二四条但書に基づく公務であったとしても、右公務は被告松戸市のものとはいえず、被告野坂及び安達が同被告の公権力の行使を担当する公務員でないことは自明であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの主張には理由がない。

3  被告野坂及び安達を被告松戸市の被用者とする主張(請求原因5(二)(2))について

原告らは、被告野坂及び安達が被告松戸市の被用者であり、被告松戸市が使用者責任(民法七一五条)を負担する旨主張するので、この点について検討するのに、成立に争いのない丙第一号証の一によれば、被告松戸市は、その家庭保育福祉員制度要綱において、家庭保育福祉員の資格、施設の基準及び児童の受託条件について定めるほか、家庭保育福祉員の遵守事項についても規定を置くとともに、家庭保育福祉員に対する保育や保健衛生についての巡回指導を予定していることを認めることができる。しかしながら、被告野坂が家庭保育福祉員の資格を有していないことを暫く措くとしても、本件保育所が、被告野坂がその自宅の一部を利用して開設・経営した無認可保育所であることは前示認定のとおりであり、その保育業務の遂行には、被告野坂が安達ら被用者を使用して自主的に独立して行っていることが明らかで、前記要綱の予定する家庭保育福祉員に対する被告松戸市の指導・監督も、行政庁の行う行政指導としてのそれを超えるものとは解されないのであって、これをもって、民法七一五条にいう指揮・命令・支配と服従・従属を基調とする使用関係になぞらえるのは適切といえず、他に、被告野坂及び安達と被告松戸市との間に右使用関係の存在を認めるに足りる証拠はない。

4  松戸市市長ないし福祉事務所長の紹介行為の違法の主張(請求原因5(四)(1)(2))について

真理子が本件保育所に入園した経緯は、前示認定のとおりであって、被告松戸市の福祉事務所の係官により本件保育所を紹介されたことによるものである。ところで、右紹介行為が、児童福祉法二四条但書の措置としてなされたものか、それとは別個の行政指導としてなされたものかは問題であるが、右のいずれであるにせよ、保育所において児童を安全に保育することは、当該保育所がその責任において行うべき事柄であって、紹介行為をなしたにすぎない市が、保育中に生じた事故について責任を負うのは、当該事故の発生につき、担当公務員に予見可能性があった場合に限られるというべきである。本件について、これを見るのに、担当公務員が前記紹介行為の当時において、被告野坂ないし安達の前記認定にかかる過失により真理子が死亡するに至る事態を予見し、あるいは予見することができたことは、本件全証拠によっても、これを認めるに足りず、原告らの主張には理由がない。

5  被告松戸市の債務不履行の主張(請求原因5(五))について

請求原因5(五)の事実は、本件全証拠によっても、これを認めるに足りない。

六被告千葉県及び被告国の責任

1  保育要求権の侵害の主張について

前記五1の判断と同旨であるから、これを援用する。

2  権限不行使の違法の主張について

(一)  立入調査権の有無について

原告らは、千葉県知事が、無認可保育施設に対する立入調査権を行使すべきであり、そうすれば、本件保育所の危険な保育実態を把握し得、ひいて本件事故の発生を防止できた旨を主張するので、この点について検討を加える。

本件事故当時の児童福祉法五八条二項によれば、都道府県知事が無認可保育施設に対する事業の停止及び施設閉鎖の権限を有することが規定されているものの、都道府県知事が施設に対する立入調査権を有する旨の明文の規定はなく、右立入調査権についての明規が置かれたのは、昭和五六年法律第八七号(児童福祉法の一部を改正する法律)による改正以降であることが明らかである。そして、右の法改正は、厚生大臣に対しても、都道府県知事と同様に無認可保育施設に対する事業停止及び施設閉鎖の権限を付与するとともに、厚生大臣及び都道府県知事に対し、報告徴収権及び立入調査権を与え、併せて、右の各権限を実効あらしめるために罰則を設けたものであって、かかる法改正の経過からして、都道府県知事の施設に対する立入調査権は、昭和五六年における法改正によって創設されたものであると解するのが相当であるから、千葉県知事に無認可保育施設に対する立入調査権があることを前提とする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(二)  規制権限の不行使の違法について

原告らは、仮に、千葉県知事に無認可保育施設に対する立入調査権がなかったとしても、同知事は、行政指導により無認可保育所の実態調査をしたうえで、本件保育所の施設・運営の改善勧告をなし、そのうえで事業停止又は施設閉鎖の権限行使をなすべきであったものであり、また、厚生大臣としても、都道府県知事を指揮監督し、前記行政指導ないし権限行使をなさしめるべきであったもので、そうすれば、本件事故の発生を防止できた旨を主張するので、検討を加える。

一般に、行政庁の権限不行使がいかなる場合に違法となるかについては議論があるが、行政庁が法令上付与された権限を行使するか否かは、当該行政庁の専門的技術的見地に立つ政策的な判断(自由裁量)に属するのが原則である。そうすると、行政庁の権限不行使が国家賠償法上の違法評価を受けるのは、当該権限の不行使が行政庁に付与された裁量権の消極的濫用ともいえる程度に不合理と判断される場合に限られると解するのが相当であり、このような観点からすれば、行政庁の権限不行使が、違法とされるためには、少なくとも、国民の生命、身体、財産に対する切迫した危険が存在し、行政庁において当該危険の存在を具体的に知り又は容易に知り得べき状態にあることが最小限度必要であるものというべきである。本件について、右の要件の存否を検討するのに、本件事故の発生以前に、千葉県下の家庭保育福祉員制度を受ける施設において、乳幼児の死亡事故が発生していたことを認めるに足りる証拠はなく、また、本件保育所は、無認可保育所とはいえ、その設備は、松戸市の家庭保育福祉員制度要綱上の要件を満たしていたもので、保育に携わっていた者も、原則的には同市の認定を受けた家庭保育福祉員であって、本件事故が発生するまでは格別の問題なく保育業務が実施されていたことは前示のとおりであり、さらに、本件保育所の保育上の問題点につき、千葉県知事又は厚生大臣に対し、原告らを含むなんぴとからも申し入れはなかったのであるから、本件全証拠によっても、本件事故当時ないしそれに接着する時点において、千葉県知事又は厚生大臣が本件事故発生の具体的蓋然性を認識していたことあるいは容易にこれを認識しうべきことを認めることはできないものというべきである。なお、原告らは、行政指導としての実態調査を実施していれば、本件事故の発生を予見できた旨を主張するやであるが、危険の発生についての公務員の予見可能性は、一般的・抽象的なものでは足りず、具体的・現実的なものであることを要するものと解すべく、また、そもそも、行政庁は行政指導をなす法的義務を負担するものでもないから、所論は採用できず、論旨は理由がない。

七損害

1  真理子の逸失利益

弁論の全趣旨によれば、真理子は、昭和四八年五月四日生の女子であったことが認められるので、本件事故によって死亡しなければ、満七六歳くらいまでは生存できた(厚生省の簡易生命表による。)ことは公知の事実であり、満一八歳から満六七歳までの四九年間は稼働できたものと推認される。

そして、労働省の賃金構造基本統計調査報告書によれば、昭和四九年の企業規模計、産業計の全労働者に対して決まって支給する現金給与額は、月額一一万五二〇〇円、賞与その他の特別給与額は年間三七万五八〇〇円であるとされているから、真理子は満一八歳から満六七歳まで年間平均一七五万八二〇〇円の収入を得ることができたものと推認でき、これを基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を三割とし、年五分の割合による中間利息の控除につきライプニッツ式計算方法(ライプニッツ係数7.549)を用いて死亡時における真理子の逸失利益の現価を算定すれば、九二九万〇八五六円(円未満切捨て)となる。

原告らは、真理子の父母であることは前記認定のとおりであるから、同人の死亡によりこれを二分の一ずつ(四六四万五四二八円)相続したものと認める。

2  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、真理子の葬儀費用として各自一〇万四六〇七円を支出したことが認められ、原告らと真理子の社会的地位から考えて、右金員は真理子の死亡と相当因果関係に立つ損害とするのが相当である。

3  慰謝料

前記認定にかかる真理子の死亡に至る経緯、被告野坂の過失の態様、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、本件事故により原告らが被った精神的損害に対する慰謝料としては、各自四〇〇万円とするのが相当である。

4  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起及び追行を弁護士に委任し、報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、事案の難度、本訴審理の経過及び認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有し、被告野坂に賠償を請求をしうべき損害としての弁護士費用は、各自一〇〇万円とするのが相当である。

八結論

以上によれば、原告らの被告四名に対する本訴請求は、被告野坂に対し、各自九七五万〇〇三五円及び弁護士費用分を除く内金各八七五万〇〇三五円に対する不法行為の当日である昭和四九年二月一八日から、弁護士費用分である内金一〇〇万円に対する履行期の後である本判決確定の日の翌日から各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官薦田茂正 裁判官松田清 裁判官石井教文)

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